2012年3月13日火曜日

禁野車塚古墳

この古墳は天の川右岸の低位段丘上に築造された、前方部を西に向けた前方後円墳である。1966年に墳丘測量、70年に範囲確認調査が実施され、埋葬施設は不明だがその規模は全長110m、後円部径5m、円高9.9m、前方部幅40mと北河内屈指であり、4世紀中頃の築造と推定され、天野川水系の古墳時代を考える上で不可欠の古墳として1972年に現状の墳丘部分が国史跡に指定された。
2006年には後円部南東側で範囲確認調査が実施され現地表下約2.5mにおいて後円部墳丘部裾を検出することが出来、後円部が60m前後と従来考えられていたよりも大型になることが判明し、2007年に古墳南側の既存の公園部分と合わせて史跡の追加指定を受けた。そして2008年の再測量の結果、全長120m、後円部径63m、前方部幅55mと言う規模の復元案が提示されるようになった。また、倒卵形気味の後円部に撥方(ばちがた)の前方部が取り付き、後円部から前方部に至るスロープも明瞭であると言う墳形の特徴が奈良県桜井市の箸墓古墳等に類似し、築造時期も4世紀初頭以前にさかのぼる可能性が浮上するに至っています。このように禁野車塚古墳は、大阪府内でも最古クラスの前方後円墳であり、淀川左岸の古墳時代の始まりを解明する上でも極めて重要な古墳と言うことが出来ます。
所在地:大阪府枚方市宮之阪5-381








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