2012年3月12日月曜日

酒君塚

大阪市東住吉区に酒君塚という古墳がありということをご存知ですか。墳頂に1901(明治34)年に建てられた酒君塚の顕彰碑があります。
日本書紀に仁徳天皇43年の条に、異鳥を捕らえ天皇に献じたところ、百済からの渡来人酒君は、それがそれが鷹であることを教えた。そこで天皇は鷹を当地で飼育させ、百舌鳥野(堺市北区中百舌鳥町付近)で鷹狩に興じ、数十の雉を得たという。塚はこの酒君の墓と伝え、付近の地名「鷹合」は、この伝承によっている。
駒川沿いに南北に派生した尾根筋に築造された物と考えられる。江戸時代の「摂津誌」によれば住吉群鷹飼部の古墳で、鷹合村にあり、今平塚と称すとあり、「鷹甘部の墓」あるいは「平塚」と呼ばれていたことがわかる。
平成14(2002)年に実施した発掘調査では、現在の墳丘下約2Mに平塚と思われる古墳の墳丘が埋没しており、5世紀初頭頃の形象埴輪片が出土している。地籍図から、西向きの前方後円墳と推定されている。墳形や規模については近代に宅地造成等のため大きく改変されているため明らかでない。
所在地:大阪市東住吉区鷹合2丁目5
最寄り駅:近鉄南大阪線「針中野」下車南西約200M

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