2012年4月28日土曜日

目垣城跡

目垣の地は、古代から中世にかけて広くこの地を統裁していた溝咋氏の所領溝咋荘の内にあり、溝咋荘の代表的な土地であったことから、この名が付けられたといわれています。位置・興廃年月とも不詳。以上のように、この辺りに土豪溝咋氏の城館があったことが伺えますが、その興亡や跡地を断定することは困難です。しかし溝咋氏は古代からこの地方に勢力のあった豪族で、目垣を中心として、館を造り塁堡も築いたことは当然考えられます。その場所は、おそらく安威川左岸・育英橋を下った辺りであると考えられています。
仏照寺の南側の私有地のなかに石碑と案内板がつくられています。
○所在地
茨木市目垣1丁目

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