2012年4月13日金曜日

平野屋会所と坐摩神社

宝永元年(1704)の大和川付け替えにより、旧川筋での新田開発が進められ、深野池でも翌年から、東本願寺難波別院の手により開発工事が始まった。工事は正徳三年(1713)に終了、すでに開発されていた河内屋北、河内屋南の両新田に加え、深野北、深野、深野南の三新田が深野池の跡に誕生するが、深野南新田と河内屋南新田は、正徳五年(1715)に平野屋又右衛門の所有となり、以後助松屋、天王寺屋、高松長左衛門に移った。会所とは年貢の徴収と管理に当たる所で、平野屋新田会所は深野南新田を中心に73 町歩程を支配していた。かつて敷地には、広い土間と座敷のある母屋や「千石蔵」と呼んでいた米蔵があり、銭屋川に面して船着場もあった。東隣にある坐摩神社は当新田の開発に伴い大阪市中央区の式内社坐摩神社を勧請したものであるが、今は、地域の氏神として信仰されている。
所在地:大東市平野屋1-9



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