2014年12月22日月曜日

川口居留地跡

明治政府は、1868年にこの地に外国人居留地を造成し、大阪府の文型開花はここから広まった。敷地内は日本の法律が及ばない治外法権とされ、イギリス・アメリカ・ドイツ・フランス・オランダ・ベルギーなどの外国人が居住した。歩道と車道が区別され、街路樹とガス灯が設置され、洋式建築が立ち並んだ。また、居留地周辺に日本人と外国人の雑居地が認められ、主として中国人が住んだ。しかし、川口は大型船舶の出入りに不便であったため、1875(明治8)年頃までに、外国商人らは神戸居留地(現、兵庫県神戸市)へ移転した。更に1899年、安静の5カ国条約の改正により、居留地制度が廃止され、また、天保山に新しい大阪港が完成した。その後、川口に残った外国人は、宗教や教育の活動家で、キリスト教会とそれに付属した学校・病院などが設けられた。布教者達は、当時の日本が男尊女卑であることをみて、女子教育に尽力した。平安女学院・プール学院・大阪女学院・大阪信愛女学院・梅花学園やバルナバ病院などは、いずれも川口を発祥とする。
所在地:大阪府大阪市西区川口1-5(本田小学校北西角)
最寄駅:大阪市営地下鉄中央線・千日前線阿波座駅徒歩8分

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