2014年12月22日月曜日

木村蒹葭堂邸跡

木村蒹葭堂邸跡の実際の跡地は、約120m西側と伝えられている。蒹葭堂は、堀江の裕福な酒造かに生まれ、名は孔恭、通称坪井屋吉衛門、号は巽斎という。井戸から出た古い葭根にちなんで、蒹葭堂と名付けた。幼い頃から好学多芸で、11歳で片山北海に漢学を学び、後師片山北海が創立した混沌誌社に加わった。絵は狩野派の大岡春卜と池大雅に学び、小野蘭山に学んだ本草学(博物学)には精通し、オランダ語も得意であった。博識と本草の標本・典籍・書画・骨董等の収集で知られ、東西の文化人や諸外国人まで来坂時には蒹葭堂邸を訪れたと言う。江戸時代、蒹葭堂といえば物知りの代名詞になるほど、大阪随一の町人学者として名を知られていた。
所在地:大阪府大阪市西区北堀江4-3
最寄駅:大阪市営地下鉄千日前線・長堀鶴見緑地線西長堀駅(大阪市立中央図書館南東角)


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