2015年3月27日金曜日

大阪会議所開催の地

明治維新間もない頃、新政府の方針をめぐり政局は混迷を極めた。体制を固めようとする大久保利通は当時反対を唱え下野していた木戸孝允や板垣退助を引き入れるため、伊藤博文・井上馨らとともに明治8年大阪で会合した。紆余曲折を経た会議は1ヶ月にもおよび、国会開設の準備、司法権の独立、地方官会議の開催、内閣と各章の分離などが話し合われた。そして2月11日木戸孝允の常宿、花外楼(加賀伊を木戸孝允が改称させた)で妥協した。これを称して大阪会議という。ここでの話し合い花が続きせず、6ヵ月後には再び混迷度を増したが、この会議は立憲政体を宣言した意義あるものであった。
所在地:大阪府大阪市中央区北浜1丁目1(花外楼前)





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