2015年10月1日木曜日

英国外交官アーネスト・サトウ宿泊の地法雲寺、本覚寺跡

アーネスト・サトウが初めて来坂したのは、慶応3年(1867)1月7日。来坂の目的は、将軍徳川慶喜が公使ハリー・パークスとの謁見を控え下見と大坂町民の観察だった。1月9日午後に薩摩藩士・吉井幸輔(のちの友実)が、サトウの宿泊所・本覚寺を訪れた。11日には、再び吉井幸輔が小松帯刀を伴って本覚寺を訪ね、朝食を共に摂った。小松と吉井は、パテ・ド・フォアグラとビールが大いに気に入ったとサトウは書き残している。同年7月、3回目の来坂。パークス・慶喜との大坂城での謁見当日の早朝、7月27日、薩摩藩士・西郷吉之助が本覚寺にいるアーネスト・サトウを訪ね会談を行った。5回目の来坂は、慶応4年(1868)2月。本覚寺ではなく法雲寺に宿泊。この来坂中に「堺事件」が勃発している。
所在地:大阪府大阪市中央区中寺2-1-56(正法寺の向)



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