2016年2月14日日曜日

野畑春日町遺跡

現在の府営豊中春日住宅の一角から、弥生時代の土器が見つかり、遺跡の存在が明らかになったのは終戦後間もない頃のことでした。それから40年が過ぎた昭和61(1986)年、野畑家図書館の建設にともなって、初めて本格的な調査が行われました。その結果、弥生時代の遺構と共に縄文時代の初め頃(約1万年前)に作られた石の槍先(有舌尖頭器)や、縄文時代中頃(約4千年前)に掘り込まれた多数の穴が数多く見つかりました。これらの穴の幾つかは、土の成分を調べた結果、人を埋葬した墓である可能性が指摘されています。おそらく当時、この千里側を見下ろす低い段丘の上には、縄文人たちの住むムラがあり、狩猟や採集をして生活していたものと考えられます。千里側流域には、このほかにも野畑遺跡や内田遺跡、柴原遺跡など縄文時代中頃から終わり頃にかけての遺跡が点在しています。千里側の豊かな水と、緑深い森に生活の糧を求めながら、流域を移り住んでいった縄文人たちの姿が、これらの遺跡からしのばれます。
所在地:大阪府豊中市春日町4-11-1(野畑図書館前)


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