2016年12月2日金曜日

奈良少年刑務所

奈良少年刑務所は、法務省矯正局の大阪矯正管区に属する刑務所。全国7箇所の少年刑務所の一つ。下部機関として葛城拘置支所を持つ。前身は奈良監獄で、当時明治41年(1908年)に竣工した山下啓次郎設計による建築物が現存する。平成28年度末での廃庁(閉鎖)が決まった。建物は保存・活用される方向。
○所在地
奈良県奈良市般若寺町18
JR奈良駅・近鉄奈良駅からバスで「般若寺」バス停下車徒歩約3分
○収容分類級
本刑務所の収容分類級は以下の通り。
JA級
YA級
近年では、性犯罪者の更生プログラム実施施設。その実施に伴い、少年受刑者・若年受刑者問わず、20代後半~高齢者まで収容。プログラム終了者は随時、元収容施設にて刑期を務める。
○収容定員
702人(平成20年には752人の受刑者を収容)。
○組織
所長の下に2部1課を持つ3部課制である。
総務部(庶務課、会計課、用度課)
処遇部(処遇担当、企画担当)
医務課
○職業訓練
職業訓練のうち、総合訓練を行う総合訓練施設(全国に8施設)の一つに指定されており、総合訓練として、板金科、溶接科、配管科、クリーニング科、機械科、電気工事科、建築科、工芸科、ホームヘルパー科、印刷科、左官科、理容科、短期理容科、情報処理科、農業園芸科、ビルハウスクリーニング科の16種目を実施している。職業訓練を行う施設として、奈良少年刑務所は修了証書を授与する場合その他必要があれば若草技能訓練所の名称を用いることができる。
○建築・設備
煉瓦造りの外塀、正門(表門と称する)が特徴。内部の建物もその大半が100年以上にわたって使用されている煉瓦建築である。武道館に相当する建物等は新規に改築されている。一部には戦後、旧陸軍の建物を移築した施設もある。山下啓次郎(司法省営繕課)が設計。千里久春吉の名前も設計者の一人としてあがっている。日本政府は奈良監獄を監獄近代化・西洋化の歩みの到達点とし、1910年(明治43年)にロンドンで開かれた日英博覧会に模型を出展した。現在も竣工時の様態がよく残り、日本の近代化の一側面を示す遺構として貴重である。
○建物保存への要望
2014年10月、奈良少年刑務所の建物の重要文化財指定と保存を求める団体「近代の名建築 奈良少年刑務所を宝に思う会」が発足した。会長は設計者山下啓次郎の孫である山下洋輔。
2015年6月、日本建築学会が「奈良少年刑務所の保存活用に関する要望書」を出した。
2016年5月、奈良少年刑務所の立地する地元自治会が、刑務所建物の重要文化財指定と保存を求める要望書を出した。
2016年6月、奈良県議会が「奈良少年刑務所の洋風建造物を重要文化財に指定し存続することを求める意見書」を可決した。
2016年10月、文化審議会が「旧奈良監獄」という名称で建造物19棟と土地を重要文化財に指定するよう答申した。官報告示を経て正式指定となる。
○その他
名称に「少年」とあるが収容者の大半は20代前半であり、10代の者は数えるほどしかいない。犯罪傾向が進んでおらず年齢が若いなど、更生の見込みが大きいと考えられる者を中心に収容しており、伝統的に矯正指導が盛んとなっている。毎年9月に「矯正展」という一般公開行事を開催している。指導内容の紹介、受刑者の絵画や文芸等の作品紹介、本館前の広場を中心とした物販などのほか、さらに奥に入って施設を見学するツアーも行われている。
○沿革
1613年(慶長18年)奈良奉行所(幕府直轄)開設。奉行所北側の北魚屋西町(現在の奈良女子大学敷地)と花芝町に牢屋敷。 
1871年(明治4年)一部が西笹鉾町の奈良代官所跡地に移転、奈良監獄署となる。
1876年(明治9年)県の合併に伴い堺県の奈良監獄分署となる。
1881年(明治14年)県の合併に伴い大阪府の奈良監獄分署となる。
1887年(明治20年)奈良県再設置に伴い奈良監獄署となる。
1901年(明治34年)現在地への移転着工。
1908年(明治41年)7月現在の施設が竣工(工事総額30万円)。
1909年(明治42年)3月現在地に正式移転。
1922年(大正11年)10月奈良刑務所と改称。
1946年(昭和21年)7月奈良少年刑務所と改称。
2008年(平成20年)9月100周年記念矯正展開催。山下洋輔がライブを行った。
2016年(平成28年)7月年度末での廃庁が決定。建物は保存・活用の方向。




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