2017年9月10日日曜日

泊園書院跡

儒学者藤沢東がい(ふじさわとうがい)が文政8年(1825)、大阪に出て泊園書院を設立。当時、民衆に漢学を教えた私塾であった。東がいの別号が「泊園」。「泊園」は私利にとらわれないという意味である。東がいは6歳でたいていの漢字を読んだ秀才で、七絃琴の名手。風雅を愛し、泊園の名のとおりの生涯を送ったという。この精神は南岳、黄鵠、黄坡と4代140年間守られた。現在石碑が立つ場所に塾が移されたのは南岳の頃で、明治9年(1876)。
南岳は一時、途絶えていた泊園書院を明治6年(1873)に再興。やがて最盛期を迎え、塾生は100名に達したという。江戸から続いた泊園書院は、昭和24年(1949)、黄坡の死によって幕を閉じた。その間に蓄積された2万冊余の蔵書は、現在、関西大学に泊園文庫として保存されている。また一族から昭和の流行作家、藤沢桓夫や石濱桓夫が出ている。
所在地:大阪府大阪市中央区淡路町1-5


昔は石碑があったようですが、今は看板のみのようです。

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